徒然なるままに日暮、パソコンに向いて・・・
子供達
 「未だ幼い子供達は、肌の色や民族や国籍に囚われずに仲良く遊ぶのに、何故大人達はそれが出来ないのか。如何して大人達は純真な子供の心に、肌の色や民族や国籍を基とした対立や憎悪を植え付け、悪知恵を授けて平気で居られるのか。」
 と長年看護婦をされて来た修道女に言われた事が在る。
 勿論、正義と平和何たら関連の話では無く、子供の純粋さに就いて話をして居た折に、この話を為されたのである。
 確かにそうで在る。
 理想はそうなので在る。
 だが現実はそうではない。
 理想を前提に現実を追及するのか、現実を前提に理想を追求するのかでも、話は変わって来る。
 何れにせよ、カトリック的な追求・追究・追及法を用いるのが公教徒の術で在ろう。
 その様な術ならば、一信徒として喜んで追従するので在る。
 が然し、瘠せても枯れてもカトリック信徒で在る。
 反カトリック的な勢力と一蓮托生等は出来ないのは当然で在る。
 この反カトリック的な勢力は、反日本国的な勢力でも在る、無神論的共産的社会主義の世界覇権を目論んで居る勢力、所謂コミュニスト系の勢力で在る。
 共働処か同調など出来る訳がない。
 だが、教導教会に属する方々がカトリックの名を冠して政治に介入し、有ろう事か反カトリック的な勢力と歩調を合わせて居るので在る。
 この様な動きには危惧を抱きこそすれ、盲従する気なんぞ更々無い。
 悪しからず。
 呉々も軒先貸して母屋取られぬ様にして頂きたい。

 それにしても、心から尊敬出来る聖職者が少なくなった。
 と同時に、敬虔深くミサを司式する司祭の姿も見えなくなりつつ在る気がする。
 敬虔の度合いは個人差が在るやも知れぬが、態は心を現すと云う。
 幾ら態を装うとも、其の言動の端々に心が現れて居る気がする。
 これもコミュニストが齎した影の一旦なのだろうか。
2006年02月08日 22時28分04秒
大和
 「男たちの大和」を観た。
 あの○日新聞が関わって居るので少々警戒しながら観たが杞憂だった。
 極普通の日本人ならば、観て好かったと思える映画だと思う。
 現に、上映後の館内で妙齢の御婦人方が「あの戦争に就いて認識を改めなければね」と言い合って居た程で在る。
 勿論、この場合に改めるのはネガティブで在った認識を、(程度の差こそ在れ共)ポジティブな認識に改めると云う意味で在る。
 大東亜戦争停戦から六十年を経て、「日本悪玉論」の呪縛から解き放たれ様として居る兆しかも知れない。
 この覚醒には、今尚も続けられる中共や南北韓の日本に対する執拗な強請集りへの嫌悪感も一役買って居るので在る。
 当にに皮肉で在る。

 だが、また性懲りも無く中共がこの映画に対しての難癖・言掛りを突けて来たので在る。
 (“「男たちの大和」に中国紙が批判論文”で検索して頂ければ概要を掴める事が出来ます。)
 要するに、「この映画の内容は中国共産党の指針にそぐわないから貶める」と云って居るので在る。
 この「指針」と云う言葉を「史観」と言い換えれば解り易いかも知れない。
 これを「中共史観」或いは「南京大虐殺記念館史観」とでも称するのだろう。

 中共を宗主国と仰ぎ忠誠を誓う方々は、自らの史観の範を中共史観にして居るので在ろう。
 日本国史観には見向きもせず、日本国の史観を滑稽なまでに貶めなければ為らないのは何故で在ろうか。
 日本国内に於いて中共史観を覆されては自らの存在意義が危うい程までに偏向し過ぎた頭を持って居る為なのか?或いは、中共史観を浸透させて日本国史観を覆す事で生計を得てでも居るのだろうか?若しくは、中共様が日本に侵略した暁に粛清に遭って仕舞わない為なのか?又は、中共日本省樹立後の役職を保証されて居るのか?等々と考えて見たが何等かの理由で勤しんで居るのだろう。
 日本の史観を攻撃する彼等の正義とは、日本国の為の正義ではなくて、中共の為の正義なので在る。

 先の“「男たちの大和」に中国紙が批判論文”で在るが、この中共の妄言にレーニン教徒や中共崇拝者は「我が意を得たり」とばかりに追従するので在ろうが、今度ばかりは彼等の旗手で在る朝○新聞がこの映画の後援で在る故に侭為らぬ様で在る。
2006年02月05日 22時51分19秒
皇室の為の祈り
 皇室の為にする祈りを掲載しました。

 以下は、日記のメモ@戯言です。
 気にしないで下さい。

 大東亜聖戦終結の勅書による皇軍の停戦及び武装解除以降に出版された公教会祈祷文(公教会祈祷書)と、それ以前の版の公教会祈祷文(公教会祈祷書)に掲載されて居る祈祷文の数を比べてみると、前者より後者の方が祈祷文を増補して居て、数値的には豊かになっています。

 また、漢字に振られて居るルビにも些か乍も違いが在って、全部がそうでは在りませんが、現在の観点からすると当て字的で在るとは云えども、前者の方が訓読みを用いて居る気がします。

 例えば、「温和」と云う言葉を前者では「やは(わ)らか」、後者では「おんわ」と云う風に、同じ祈祷文で在っても振られるルビに違いが見られたります。

 この前者に見られる「やまとことば」の名残が、後者から消えてしまったのは、非常に残念な事だと思います。

 公教会祈祷文の改変が行われた当時の方々が良かれと思われた結果であり、その苦労も知らぬ後代の者が口を挿むのは僭越に過ぎ、口を慎むのは当然なのですが、個人的には残念で在る事には変わり在りません。

 残念なのは「やまとことば」の名残が消えただけでなく、祈祷文が増補された中で唯一消えてしまった祈りが在る事も残念で在ります。

 それは「皇室の為の祈り」と云う祈りで在り、支那事変勃発辺りからは「皇国の為の祈り」と云う祈りとして形を変えながらも存在して居たものであります。

 この皇室の祈りが何時頃に出来、祈り始められたのかは不勉強の故に判りかねますが、王室を持つ欧米各国の範に倣い、皇室を持つ我が国の為に創られたので在りましょう。

 今は如何か解りませんが、以前は王室を持つ国々では、小教区での主日のミサの中で一番荘厳に挙行されるミサの後に、「Domine, salvum fac」と云う祈りが為されて居りました。

 各々の国の王・女王の為に祈願し、祖国繁栄の恵みを乞い求める主旨の祈りだと個人的に解釈しています。

 特に驚いたのは、英国国教会の首長である英国国王(又は女王)の為にも祈って居る事です。

 又、フランス革命以前は如何だったのかは解りませんが、1801年にナポレオンがローマ教皇と結んだ政教条約(コンコルダートに)より、フランスに国教として公教会が復活した後にも(若しくは、それ以前からかも知れませんが)、「Domine, salvum fac」の祈りの中に「皇帝ナポレオン」の名前を見出す事が出来ます。

 宗派の違いや思想の違いと其れに起因する諸問題とは別に、国家元首の為、祖国の為に祈る事は、其処に生を受け、国民としての権利を享受された者に対する崇高な義務で在ると思います。

 この「Domine, salvum fac」の祈りが、我が国で用いらて居たか否かは解りませんが、少なくとも「皇室の為の祈り」と云う祈りが我が国には在り、頻度は兎も角も用いられて居た様です。

 やがて、この祈りは「皇国の為の祈り」と云う祈りに変わられた様で、公教会祈祷文(公教会祈祷書)から姿を消しましたが、勿論と云うべきか矢張りと云うべきか、この新しい祈りの中でも皇室の為に希求して居ります。

 生憎、資料不足で大東亜聖戦末期時には、この祈りが如何変化したのか否かは解りませんが、当時の日本のみならず世界のあらゆる情勢を見て考慮する限りに於いて、それ程奇異な祈りだとは思えません。

 寧ろ、これらの祈りに対して現代の反日家・嫌日家がイデオロギーを絡めて喧々諤々と吹聴する姿の方が酷く、真の歴史と云う観点から診れば、ドン・キホーテ宛らの分別を失った滑稽な姿に写るのではないでしょうか?

 この様な聖職者・宗教者と云う衣を隠れ蓑にしたイデオロギー信奉者の醜悪な姿は、所謂、左翼でも右翼でも在りません。

 この国を思えばこそ、初めて右翼・左翼と云う分類に分けられるので在りますが、これらのイデオロギー信奉者は単なる日本転覆を望む者で在り、右左翼のカテゴリーに収まると云うか、日本と云う国に立脚さえして居ないので端からカテゴリーには当て嵌まりません。
2006年02月02日 23時40分51秒
続き
 度々、右左翼の両翼とか何とかと実しやかに云われますが、右左翼の座標軸を「この国」に置いてこそ始めて両翼に成り得るので在り、それには「この国に帰属して居る自覚」と「この国を思う心」が前提に為ると思います。

 謂わば、この前提が両翼の中に位置する「体」で在り、この体を愛しみ育む心が在ってこそ始めて右左翼の均衡が生じるのであり、この体に帰属している自覚も、この体を愛しみ育む心も欠如して居ては、況して、この国を貶めようと尽力して居ては、最早右左翼の分類にさえ属さないと思います。

 故に公教会の名を騙ったイデオロギー信奉者も、左翼でも右翼でも在り得ないと申しました。

 しかも、このイデオロギー信奉者が奉ずるイデオロギーの大元の思想は、反教会的でさえ在ります。

 彼の者共が、現在の価値観で過去の公教会を一方的に断罪し、現代の公教会さえも貶める発言を執拗にし続けるのを鑑みれば、その思想原理の源泉が反教会主義で在る事から、公教会を貶めるのに躍起に為って居るのも充分に頷けます。

 眠いので終了。
2006年02月02日 23時46分16秒
B.M.
 帰天した恩師は、僕にとっては真に「師」で在った。
 聖職者への尊称で在る「師」と云う用語とは別に、心から尊敬し師事出来る意味でも「師」で在った。
 そして何よりも「父」で在った。

 求道者だった頃、度々恩師と御聖堂(おみどう)で共に跪いて祈ったもので在るが、何時も祈りの一番最後に恩師は、
 「イエズスさま、どうかこの人を私の息子として下さい!」
 と、御聖櫃にましますイエズス様に祈って下さった。
 (勿論、霊的な事柄を希求したので在る。洗礼授与者(Baptizans)としての霊的親族関係(Cognatio spiritualis)を指す)。

 恩師と出会った即日、恩師は僕が如何してカトリックを知ったか、如何して信仰を懐くに至ったか、如何程要理に就いて知って居るか、どれ程聖書に親しんで居るか、如何許り天主様を愛して居るか、如何許り祈りと共に居るか等々を尋問され、この取調べの結果、この位の出来ならば、この程度の補習を以って、恩師の責任に於いて僕に洗礼を授けたい旨を、後日に主任神父様へ上申為された。

 しかしながら、我が母教会は巡回教会で在るが故に、我が受洗に就いての要理教育を含む一切の事柄は、巡回教会の責任者で在る恩師の手から、巡回教会が属する小教区の管理者、所謂主任神父様に委ねられてしまうので在る。
 「教区裁治権者から小教区に対する専有権の享有を付与された」責任ある者としての判断として当然の事なのかも知れぬが、視点を変え(穿った見方をす)れば、恩師から「奪った」と捉える事も出来るし、その当時、経緯を知った方の中には、そう発言した方も一人や二人ではなかった。
 それでも恩師は「例え洗礼は主任神父様が授けるにしても、要理の教授だけでもさせて欲しい」と願って下さったが、「信徒の要理教師を使う為」と云う理由で要理教師の志願さえ却下され、要理教師に依る要理学習の開始時期も、来期、つまり半年近く先の御復活祭以降と決定したので在る。
 (後に、約半年放置される僕への教会役員だか教会委員だかの慰めにもならない弁に依れば(今では教区長が代って居るので当時とは違うかも知れないが)、「(当時の教区の方針としては)緊急の場合を除き、盛儀の洗礼を授けるのは年一回御復活祭の時のみで、洗礼に先立つ一年間を要理教育と入信迄の準備期間として居る関係上、要理教育の開始は御復活祭の後から始まる」とか何とか……と説明された。)

 「私は何もしてあげられません…、何もしては駄目と言われました…」
 と仰られた恩師の悲しそうな顔は今でも忘れられない。
 「これも従順です」
 と、ポツリと付け加えられた時の寂しそうな笑顔も。

 誤解されないで欲しいが、当時の主任神父様は本当に親切な良い方で在った。
 きっと、教区の方針とやらと、老司祭に負担を掛けたくない思いやりから発した判断だったのだと思う。
 只、司牧暦五十一年の司祭の経験と勘を些かでも顧みて下さったら……同じ宣教師魂を持って居る者同士、老いたれども霊魂の救いの為に働ける喜びを恩師にも分け(与え)て下されれば良いのにな、とは思った。

 それでも、恩師は「公教要理の勉強の準備です」と仰って、色々とお教え下さった。
 確かに主任神父様から「要理の教授」は却下されたが、「要理教育の準備」迄は差し止められて居ないので在る。
 実質は如何で在れ、名目は名目で在る。
 伊達に五十年以上も司祭で在り続けては居ない、一昨年に司祭叙階の金祝を祝っただけの事は在る。
 少なくとも、公教会では此れを不従順とは云うまい。
 何処ぞの、聖書のみに頼らざるを得なくなった教条主義追従者には、此れが如何映るのかは知らぬが。

(続く)
2006年01月26日 23時30分24秒
B.M. 2
 そんなこんなで、漸く正式な要理の学習が始まったのだが、主日ミサ後の週一回行われる要理教師との学習の後に、恩師から「要理の復習」をさせて頂いたのは大いに益になった。
 勿論、要理教師が「ちゃんと教えたか」の確認ではなく、要理教師が教えた事を僕が「理解出来たか否か」の確認の復習であり(要理教師の名誉の為に附しておく)、時には出来の悪い生徒の為の補習を兼ねた復習である、決して「要理の教授」ではなかった。
 当時は「新しいカテキズム」と云う「テキスト」が出される前の事で在り、今は如何か判らないが、当時は聖書を「テキスト」とした学習が、所謂「要理」として主流だった気がするが、我が要理教師が用いたテキストは所謂「問答式」の要理書ではないものの、要理書として編まれたもので在り、その要理書を「テキスト」とし、聖書を「コンテクスト」として用いて下さったのは有難かった。
 同時期に他所の教会で「聖書の学習」をして洗礼を受けた方は、マタイ福音書はアラマイ語で書かれた事は知ってても、「煉獄?何それ?」と云う有様だったり、「ヴルガタ訳は誤訳が沢山あるからね〜、やっぱり聖書学はプロテスタントが秀でてるね〜」とか仰いながら、「え゛っ?今の形に聖書を編纂したのはカトリック教会なの?え゛っ゛?カトリックって、使徒から受けた聖書を保存し、守り、説明する使命を持って居るの?ウソでしょ?」と云う始末でしたので、本当に有難かったと思う(要理教師の名誉の為に附しておく)。

 恩師からの復習は、「信仰の知識」と云うよりも、寧ろ、「信仰の知恵」と云うべきものに重点が置かれて居た。
 教えられた信仰の知識を、実生活の中で見出し、確認し、活かして、信仰に生き、信仰に生かされる為に必要な知恵で在る。
 「信仰の知恵」としたのは僕の感覚で在る、本来ならば違う言葉が適切なのかも知れぬが、僕は「知恵・智慧」と捉えた。
 この意味でも、主に信仰上の知識の教授を任とする要理教師の職務を侵犯して居ないと思われ、今更ながら恩師の知恵には頭が下がる。
 無論、要理教師も知恵的な事を教示して下さったのだが、彼の任は知識の教授で在った為、知恵の方面に就いては突っ込んだ話には為らなかったのが残念である。
 元々が要理教師を喜んで引き受ける程のバイタリティー溢れる信仰を持ちの御方で在る、知識だけに留まらず知恵をも伝授したかったで在ろう事は、屡々要理学習が脱線しかかって居た事実が示して居る。
 だが、そんな事をして居ては、一年で終わる筈のものも終わらず、要理教師が長年築き上げて来たカリキュラムの抜本的見直しに迫られる事態に陥る結果に成って居たかも知れず、僕の受洗も更に一年先に延ばされて居た可能性が非常に高い。
 故に、場合によっては共倒れに成ったかも知れず、要理教師が強い自制心を御持ちの方で良かったと今でも感謝して居る。

 僕への洗礼授与を断たれ、要理の教授も断たれた恩師で在ったが、それでも御聖櫃にましますイエズス様には
 「イエズスさま、どうかこの人を私の息子として下さい!」
 と、変わらず祈り続けて頂き、信仰の知恵をも授けて頂きながら、教会の暦は一回りした。

(続く)
2006年01月26日 23時32分35秒
B.M. 3
 典礼色が緑から紫に替わるに伴い、入門式や洗礼志願式を経たのを覚えて居る。
 式を経る毎に、愈々洗礼を受けられるのだと云う期待と喜びと不安、そして信者としての自覚が強められて行った。
 しかし、それらの式を司るのは常に主任神父様で在り、決して恩師では無かった。
 何故ならば、先にも述べた通り、我が母教会は巡回教会と云う準小教区であり、正規小教区に属する立場に在る。
 普段は、正規小教区を主任神父様が司牧し、準小教区を助任神父様で在る恩師が司牧して居るのだが、月に一回程、それぞれの司祭がお互いの小教区へ行き来して(入れ替わって)主日のミサを捧げる事に為って居り、此れ等の一連の入信式は主任神父様が巡回教会を訪れる時に行われたからである。
 正規小教区に属する方々の入信式は、主任神父様が司って居るのは云うまでもない。
 この様に、主任神父様は本当に徹底して居たので、この状態を「独り占め」と揶揄する声も聞かれたし、僕と共に入信された他の方々からも「少し遣り過ぎではないか」との声も聞かれた。
 僕も其の様に思ったので、この声を自分の意見として恩師に言ってみた。
 「小教区に関する事は、主任神父様が全て行う様にと、司教様が仰ったので、主任神父様には其の命令を守る義務と責任が在ります。主任神父様も司教様に従順でなければなりませんし、主任神父様から私(恩師)に御願いがない限り、私には何も出来ません。それに……今迄に何度となく主任神父様に意見を申し上げても、御願いを申し上げても、一度も聞き入れて貰った事は在りません。彼は主任で私(恩師)は助任だから……従わなければ為らないそうです。」
 と仰り、困惑の面持ちで、
 「これも従順……従順……。」
 と仰った後、明るい笑顔で
 「天国に行く為です、祈って下さい!」
 と満面の笑みを浮かべて申され、
 「イエズス様はね、聖書にも書いて在る通り、十字架の上で死ぬまで従順でしたでしょう?司祭はね、第二のキリストとも呼ばれます。Sacerdos alter Christus!と言い…(中略)…ですからね、志願者の方々が洗礼を受ける事が大切でしょう?一人でも多く信者が増えて、一人でも多くの霊魂が救われる事、これ以上嬉しい事は在りません!マキシミリアノさん!あなたは他に何を望むのか!」
 と、終いには諭されたので在る。
 余人が何と言おうとも、この様な恩師の態度は「師」としても立派で在ると僕は思うし、感銘を受けたのは此れだけではなく、他にも多々在るが、心から尊敬し師事出来る「師」で在る所以の一つで在る。

 そうこうして居る中に、典礼暦は枝の主日を迎え、聖週間が始まった。
 待望の受洗迄、秒読み段階に入ったので在る。
 この期に及んでも、否、この期に及んだからこそ、尚更に恩師から洗礼を授かりたい僕は、一計を案じて居た。
 此れを往生際が悪いと云うので在ろうが、本人は必死だったので在る。
 「御復活徹夜祭には行けない事にして、御復活の主日ミサで洗礼を受け様!」
 真に稚拙にして浅墓な考えで在るが、本人は必死だったので在る。
 「これならば、誰にも文句は言われまい。」
 と、ほくそ笑んだりもした、本人は必死だったので在る。
 我ながら妙案が浮かんだので、善は急げとばかりに司祭館へ急いだ。
 何度も記すが、本人は必死だったので在る。
 だが我が策略なんぞ恩師の目には奸計にしか写らなかった様で在る。
 「それはウソと違いますか?ウソはいけません。(キッパリ)」
 本人は必死だったのだが、妙案等ではなく、所詮は悪企み、悪計で在った。
 若しかしたら、放蕩息子に堕ちる片鱗を、既に此の時に垣間見られて居たかも知れない。
 「皆さん楽しみにして居ます。ウソでガッカリさせてはいけません!」
 正しく独り善がりの為の悪巧み、当に姦計で在る。
 奈落の底を探しに旅に出たい衝動に駆られそうになったが、恩師が助けて下さった。
 「ウソは駄目ですけど、私に洗礼授けさせ様とする心、ありがとう。その優しい心だけ嬉しいです。」
 この一言の御蔭で、煉獄への嶮しい道を歩む旅に出る事が出来たので在る。

 (続きは.....如何し様)
2006年01月26日 23時34分31秒
B.M.
 恩師の訃報を耳に出来た。

 悲しいのは勿論だが、安堵感とでも云うので在ろうか、不謹慎かもしれないが、何故か安らいだ気持ちに為った。

 本当に安らかな気持ちなので在る。

 恩師が幼少の頃から憧れて居られた天国への旅路に就かれたからかもしれない。

 身に起る様々な不快な事柄でさえ、『天国に行く為に、もっともっと謙遜にならなければ成らないでしょ?このような事は、謙遜に成る為に必要な事です。これも、神様からのお恵みです。』と甘んじて受け入れて居られた姿を思い出す。


 此を見ている方の中で、我が恩師の霊魂の永遠の安息を祈って頂ける方が居られたならば、是非とも祈祷って頂きたいと願って居る。


 この訃報を聞いて、近頃、富に恩師の事が思い起こされた理由が判った。

 『あなたに私の柩、棺桶を担いで貰いたい』と屡々仰っしゃられて居られたが、遠く離れた恩師の故国での帰天により、それが叶わなかった事が、辛いと云えば辛く、哀しいと云えば哀しい。

 せめて、拙き祈りを以って天国への道行きへの助けが出来たらと祈って居る。


 恩師よ、有難う御座居ました。

 ごゆっくりお休み下さい。

 そして、今にも倒れそうな、あなたの息子を顧て下さい。
2006年01月03日 23時52分21秒
B. M.
 吾等の主イエズス・キリストの御降誕の御慶びを申し上げます。

 諜報暗号:「だ」はい、忘れません。
2005年12月26日 01時09分03秒
B.M.
 近頃、恩師の事を特に思い出す。
 本当に素朴で単純な人柄の方で在る。
 書きたい事は沢山有り過ぎて、実に迷うのだが、今回はその一部を述べるに留める。

 知己を得てから間もない頃、要理の勉強の時に、こう仰られた。
 「Maximilianoさん、どうぞミサを愛して下さい。ミサは非常にカトリック的です。カトリックはミサ的で有ると言っても良い位です。カトリックの教えの大切なもの、ミサの中に含まれて表現されてます。ミサはカトリックの中心です。だからね、Maximilianoさん、ミサをどうか愛して下さい。」
 要理の勉強中に、急に何を言出すのかと戸惑ったものの、それからミサに頻繁に与る様になって、恩師の謂わんとした事が「成る程」と合点できたし、年月を経た今でもそうだと確信している。
 否、年月を経た今だからこそ、合点が確信に昇華したのだと思う。
 恩師の願われた程迄に、ミサを愛す事が出来たか如何かは定かでないが、個人的には些かながらでも愛せて居ると思っている。

 その恩師は、殆ど毎日ミサを捧げておられた。
 その理由を不躾にも訊ねた事がある。
 「私は神父、司祭でしょ」
 と言うご返事だった。
 しかも、それ以前に頂いていた恩師の司祭叙階金祝記念のカードに、その答えは既に記されていたのである。
 Quid retribuam Domino pro omnibus quae retribuit mihi?Calicem salutaris accipiam, et nomen Domini invocabo.
 私に与えられた全ての善に、私は何をもって主に報いてよかろうか?私は救いの杯をとり、主の御名を乞い願う。

 恩師を貫いていたものは天国への憧れである。
 「敬虔な貪欲さ」とでも言うのであろうか、そのような印象を受けたものである。
 その印象が感銘に変わったのは言うまでもない。
 その「敬虔なる貪欲さ」には、明朗なる闊達さが伴っていた。
 恩師自身、幾つかの病を患われておられたが、病的な面は垣間見る事は出来なかった。
 近頃、頓に湧き出ている自称信心家やら何やらの魑魅魍魎に視られる様な病的な面は、当たり前だが恩師には垣間見る事は出来なかった。
 関係ないが、この魑魅魍魎を駆逐出来ないものだろうか。

 そう言えば、恩師もモスリムの危険性を告げておられた方だった。
 先の日記にも、モスリムについて述べたが、正確な年と版は不明だが1960年以前の公教会祈祷文には或る祈祷文にはモスリムに言及していた箇所があったのですが、少なくとも1962年の版からはその箇所が削除されています。
 その祈祷文の羅和対訳を作ってみました。ご覧下さい。
 http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/dicta/cgh.pdf
 この日本語部分の下から八行目の「回教及び」から六行目の「下し給わん事を。」の部分が、少なくとも指摘した版以降からはそっくり削除されています。
 先の日記には、一部公教会聖職者に言及した箇所も在りましたが、この削除を命じた聖職者の事も指しています。
 この雑記を眺められる方々は、この行われた削除について如何思われるのでしょうか?

 結局、話が逸れてしまいました。
2005年12月16日 23時58分59秒
12月8日
 本日は童貞聖マリア無原罪の御孕りの大祝日で在りますが、また、植民地支配に喘いで居た東アジアの各国が民族独立を勝ち取るきっかけと成った、大東亜聖戦開戦記念日でも在ります。

 反共政策によって聖座からも承認されて居た支那での統治も、我が国の愚かなる極右とアングロサクソンによって潰され、悪の枢軸国連合に苦しめられ(此れをABCD包囲網と云う)、日本国の存亡の危機に瀕した上に、度重なる亜米利加の挑発にも耐え続けました。
 先帝陛下は最後迄戦争回避の大御心で在らせられた為、当時の首相東條英機陸軍大将閣下を初めとした閣僚等は対米開戦回避に奔走して居りましたが、終に最後通牒とも云うべきハル・ノートを突き付けられ、止む無く戦争に突入したのです!

 誇りだけは高い英吉利にも勝っていた!
 気高いだけの仏蘭西にも和蘭にも勝っていた!
 頭数だけは世界一である支那の八路軍にも国民党軍にも勝っていた!
 現代的軍備を持つ露助にも、近代的軍備で勝ち、日ソ中立条約を締結していた!
 しかし、諸悪の根源大米帝国のみに敗れ、結果的に枢軸国連合にも敗北してしまいました。

 然れども、先に述べた通り、この聖戦が結果的に招いたものは、東アジア諸国の植民地からの独立だったのです。
 正に、大東亜共栄圏の樹立とは、この東アジア諸国の植民地支配からの自主独立だったのです。
 破れたりとは云えども、我が祖国は、大東亜共栄圏の樹立と云う産みの苦しみを経たと云えるのではないでしょうか?
 この意味で、この聖戦が聖母の祝日に始まり、聖母の祝日に終わったのは、天主様の聖旨だったとは云えないでしょうか?
 盲目的欧米崇拝者には大変申し訳在りませんが、この聖戦により、世界各国で独立の兆しが産まれ育まれ、嘗ての帝国主義各国の植民地よりの表面的撤退と成ったと申しても過言では在りますまい。

 しかし、嘗ての帝国主義各宗主国はしぶとく、彼の国々による武器売買の為に民族紛争が煽られ、共産主義が世界を席捲しつつ虐殺を繰り返し、モスリムがアラーの名の下に世を脅かしつつ流血を繰り返す様に成ったのです。
 今も世界中で行われている流血の惨事の責は、嘗ての宗主国だけでなく、公教会の一部聖職者にも責任の一端が有ると思われます。
 先ず、他宗教との対話等と抜かした腑抜けた行いが、モスリムにより繰り返される流血の惨事を助長させたと云えるのではないでしょうか?
 モスリムの危険性は古くから指摘されて来ましたが、他宗教との対話と云う旗印に差し障るが故に、これを覆い隠し続けた結果が、世界の平和どころか世界をテロの恐怖に陥れてしまいました。
 公教会が直接に手を下さなくとも、その沈黙がモスリム助長させる一端には成ったでしょう。
 また、KGB隷下の傀儡宗教者を第二ヴァチカン公会議にオブザーバーとして出席させると云う理由の為だけに、公会議公文書に共産主義の排斥を取り上げないと云う旨のネゴシエーションをし、実際に共産主義を排斥しなかったが故に、より一層の赤の恐怖が世界を覆い尽くし、今でも暴虐の限りを尽くして居ります。特に、露助と支那では公教会徒が迫害されて居る事を思い起こすべきです。露助ではコミュニストが健在で、今では息を吹き返しています。
 この責の一端も公教会の一部聖職者に有ると思われます。


 この混沌とし殺伐とした世界の再生は日本からと迄は申しませんが、何よりも先ず、ファチマの聖母の御望み通りに、全世界の司教様が一致してロシアを汚れなき御心に奉献するのが、世界の平和と再生の為の第一歩であり、近道ではないでしょうか?
 その実現の為に祈りつつ、モスリムに警戒し、過去の教皇様方に倣い共産主義排斥の為にも祈るのは反動的な態度でしょうか?

 共産主義と云えば、こんな公教会徒が居ました。
 曰く「中国を刺激するのは良くない、故に中国を非難するのは止めた方が良い…」
 公教会が公会議で共産主義を排斥しなかったばかりに、確実に公教会内に赤化の流れが入り込んで居り、一つの勢力を創り上げてしまった様です。
 中共(支那共産党)が地下教会を迫害して居る事実にも、この方は目を口を耳を閉ざせと言わんばかりの赤化ぶり。
 この方は、テロ国家の北韓や、その実質的支援国家で在る中共が宗主国の中央協議会や正平協と意を共にして、或いは、それらの犯罪国家に忠誠を尽して居るのでしょうか?
 かつて支那が行い、今も行い続けて居る、自他の民族浄化と言う名の大虐殺を看ても、決して告げてはならぬ、或いは、前時代的代物で在る覇権的帝国主義をもって他国へ侵攻し、あまつさえ我邦へ侵略して居る事実さえをも糾弾してはならぬと彼の方は仰っしゃて居るかの様子です。
 先日、中共当局が自らの官製教会で在る愛国教会でさえも迫害した事実を、彼の方は瞠目せよと言うのでしょう
2005年12月08日 20時41分50秒
12月8日 続編
 それにしても、支那の地下教会迫害に対し、沈黙を守り続けた正平協の方々は、宗主国様の行った今回の迫害にもダンマリを決め込むのでしょうか?
 支那の官製教会と交流のある中央協も、宗主国様の意向には逆らえないのでしょうかね?
 まさか、内政干渉だとか何とか抜かして逃げるおつもりか?
 既に各々方は、中共・南北韓が行っている内政干渉の手助けをして居るではないか?
 身に覚えがないとは言わせませんよ。
 靖國神社に関し、また、指定教科書の採用に際して、中共・南北韓の先棒を担いだでは在りませんか?
 無神論的共産主義者・破壊的国際社会主義者と共に、中共・南北韓の我邦への内政干渉の共働を為したでは在りませんか?
 各々方の為さって居る事は、示談の済んだ交通事故を蒸し返し、さらに慰謝料をせびる強請・集りの類の行為に加担している事と同等の行為で在る。
 この様に盗人の如き卑劣な行為には喜んで加担し、中共の暴虐行為には正義と平和の御旗を翳さないならば、各々方の正義と平和とは、キリストの平和でも正義でも無く、一般的に用いられて居る夫々の字義にも当て嵌まらぬ。
 各々方の正義とは一般的に云う不義で在り、平和とは一般的に云う混沌では在るまいか?
 各々方は、天主の公教会に巣食う不義を好み混沌を愛する反キリスト的、反公教会的な集団で在るか否かは、今迄の行いに因って実証済みであるが、それを決定付けるのは今回の支那に於ける中共の暴虐に対する態度如何で在る。
 不敬にも靖國の御社を汚そうとした様に、お得意の動員をかけて宗主国様の出城で在る大使館や領事館にも出動して頂きたいものだ。
 決して、紙切れだけで済ませないで頂きたい。
 靖國神社に対して働いた無礼と同等の事を、各々方の宗主国様にして頂きたい。
 教科書採択に際して行ったキャンペーンと同等のキャンペーンを行って頂きたい。
 それが出来ぬならば、直ちに、聖座に禄を返上し、聖職を離れ、地下にでも潜ったら如何か?
 各々方の行っている行いは、元々はアングラのものだから、元の鞘に収まって丁度良いではないか?

 こんな事を書いても何にも成らない事は解って居るが、それでも何処かの誰かが此れを読んで、何かを感じて下さったならば、此の哀れな罪人の幸甚である。



 拙き乍も、この日をノベナで迎えましたが、図らずもと云うべきか、矢張りと云うべきか、教会には行けず終いでした。
 霊的なケア(これを司牧と云わずに何と云うのか)に精力的な司祭は何処へ行ってしまったのか?
 自分に託された羊の為に労を厭わない司祭は、過去の思い出の産物になってしまったのであろうか?
 最早、その様な養成は為されて居ないのではと勘繰ってしまう。

 ミサの始まる一時間前から、告悔室の前で信者を待ちつつ、ミサの準備の祈りを捧げる司祭の姿は見えなく成って久しい。
 日本人の改心の為と言って、薄暗い室内で硬くなってしまったパンを齧り、それを水で流し込むだけの遅い夕食を採りながら居眠りをしてしまう程、いつも司牧で疲れ切って居られた宣教師の後任は、前任者と同じく司祭館には不在がちではあるが、留守番電話を切って居るので連絡は中々取れない。
 やっとアポイントを取ってみたものの、午後7時以降は時間外との事。
 司牧の為の時間は無いが、釣りやスポーツの時間、何らかの会議の時間は在るらしい。
 いつの間にか、聖體降福式が完全に行われなくなったが、司祭館には釣竿やリールの種類が増え、ラケットやバット等も増えて居た。
 信者は午後7時以降訪れてはならぬ様だったが、未信者の友人を招いての酒宴には時間的な制限も、酒量的な制限も、音量的な制限も全て無制限らしい…(以下略)。

 霊的司牧に対して無知無能乍、プラカードや横断幕の書き方が巧く、シュプレヒコールの掛け方が絶妙な司祭が量産されない様に願うばかりで在る。
2005年12月08日 20時42分23秒
久しぶりの日記で在る
 こんな駄日記で在っても、ご覧為される方が居られる事は知って居たが、この度は別の方から日記更新の催促を受けた。
 故に、もう一寸頑張って日記を認めようと思う。
 然れど、期待する勿れ。

 諜報暗号:「だ」
2005年12月06日 23時53分08秒
一周年記念日!
十ヶ月振りの日記ですが、書きたい事がテンコ盛り。書き始めたら限が無いので今日は終了。
2005年10月25日 21時03分42秒
一月程のブランクが空きました。
 何度か書き込んだのですが、其の度にエラーに成ってしまい、早一月が過ぎようとして居ります。
 今回はうまく書き込めた様子です。ヤレヤレ…。

 吾等の救い主イエズス・キリストの御降誕の御慶びを申上げます。
2004年12月28日 23時45分29秒
寒さ…
 この寒さに震えながら、夜明けを待ち望む人々が居る事実を思い起こしましょう。
 そして、彼の人々の為にも祈りましょう。
2004年12月28日 23時34分12秒
只今帰還セリ!
何気に疲れたかも・・・。^^;
2004年11月29日 00時36分14秒
いつの間にか
寝ていた模様である。今日は引き続き寝ます。
2004年11月27日 23時50分34秒
明日の第一晩課から
待降節が始まります。
公教会の新しい一年の始まりです。
それと共に、この一年を振り返り、反省をしてみましょう。
2004年11月26日 23時14分52秒
あ〜あ、
一日サボっちゃった!
2004年11月25日 23時51分55秒
うむ〜
まただよ〜。salus me!
2004年11月23日 23時46分59秒
慶たい!
或る教友のご夫婦に天主様が第一子御懐妊の賜を與えられました!
皆で祈り励ましましょう!
天主様に讃美と感謝!
2004年11月22日 23時38分11秒
はぁ〜っ
折角のほろ酔い加減なのに、最寄の駅に着く頃には酔醒めしているのが悔しかったりする。
2004年11月21日 23時48分28秒
明日も
奢って貰いましょう!^^
ご馳走様です!^∇^
2004年11月20日 22時53分57秒
いや〜、世の中広いもので
 この日記・雑記・落書帖を監視している奇特な方が居るらしいです。
 何故監視なのかと云うと・・・、あっ、監視されているんだっけ?(笑
2004年11月19日 23時56分03秒
祈ります!
祈ってます!
2004年11月18日 23時59分53秒
只今帰還セリ!
 僻地に住むのは止めたい此の頃です。

 然して主よ、我等を憐み給え!
2004年11月18日 00時34分28秒
何なんだか…
 紀宮内親王殿下の御婚約に就いて慶賀の念を抱いている事は、先に記した通りである。
 
 が、この慶事を素破抜いた報道機関の節操の無さには怒りを通り越して只管呆れてしまう。

 聖上の大御心よりも自社の権威主義を優先する姿勢を一層顕にしてしまったようである。

 既存のジャーナリズムやマスメディアの悪口を記す事は簡単であるが敢えて止めとく。
2004年11月16日 23時58分30秒
まったく…
 雑記ながらも、折角認めたものが何らかの不都合で灰燼に帰すとショックである。(T_T)
2004年11月15日 23時57分11秒
慶賀の至り哉。
紀宮内親王殿下の御婚約に祝意を示したいと願います。
2004年11月15日 00時23分58秒
無くなった…
と思っていた「ちんすこう(紅芋)」を発見!
 1週間ぶり(1週間遅れとも・・)に頂きます、ありがとう!
 マジで旨いです。
2004年11月13日 23時57分41秒
今日は
疲れたので、これで就寝。
2004年11月12日 21時43分31秒
しまった!
 午前様になっちゃった…。
 でも、至福の一時を過せたから良いのだ。(*^^*)
 いつもありがとうございます。m(_ _)m
 これからも宜しく御願い致します。(^∇^)/~


 2305に間に合わなければ、JRで濱周りが鉄則。
 中ジョッキ2杯分とツマミ一品分の過分の出費に成っちゃった。そう考えると何気に勿体無い、嗚呼 蟹クリームコロッケ行けたな…。(^^;)
2004年11月12日 00時28分05秒
偽りの謙遜に注意せよ!
 そこに在る危険を指摘して「傲慢」と云われた方が善いのではないでしょうか?
 少なくとも、仲間に危機が迫って居るのを知らせずに傍観している事を「謙遜」とは言わないでしょう?
 「偽りの謙遜」を用いて多くの方を混乱に貶めるよりは、遥かにマシではないでしょうか?

 もう少し言わせて貰えば・・・

 天主を天主と認めなくなる風潮に抗する事を「傲慢」と云い放ち、天主を天主と認めなくなる風潮に与する事を「謙遜」であると云わんばかりでる。

 しかも、こちらはその風潮に迎合出来ぬ理由を述べているのに、その理由は傲慢に見えるから、ともかく迎合せよと言っているようなものである。

 それから、人に指図する前に、お手本を自分で遣って見せて欲しいものである。それさえせずに、人を傲慢だと罵る事こそ傲慢の極みではなかろうか?
2004年11月10日 23時51分56秒
意外な事だけど
ダサ字って、何気に良いかも知れませんな。
初めて見た時、「なぬ?」ってな感じでしたが、「モノは試し」って事で使って触れて行くうちに、「むふふ!」ってな感じに昇格致した次第です。
食わず嫌いに成らなくて良かった!
2004年11月09日 23時57分24秒
やっぱり…
御祷りから始めましょう!
2004年11月08日 23時57分19秒
まっ、
そう云う事だな。
2004年11月07日 23時51分11秒
Consolatrix afflictorum, ora pro nobis.
 タイトルは「憂き人の慰め、我等の為に祈り給え。」という意味のラテン語である。
 今日、偶々見つけたフランス語で書かれた古い葬儀カードの中で、唯一理解出来た言葉である。
 おそらくカードの主人公は、司教様だった方であると思われ、彼の永遠の安息を冀う。
 主よ、永遠の安息を彼に与え、絶えざる光を彼の上に照らし給え。彼の安らかに憩わんことを。アーメン。
2004年11月06日 23時54分20秒
深い
溜息。
2004年11月05日 22時42分47秒
断言します!
 僕の係ってしまった共同体で必要なのは、祈る霊魂が必要なのである。
 薄っぺらい評論家は不要だし、浅墓な吹聴家も無用である。
 祈る霊魂が必要なのである。
 下らん講釈は余所で為さったら宜しいではないか。
 低俗な御高説は他所で吐いたら如何か。
 下衆の勘繰りを垂れる暇が在ったら、己の救霊の為に主に憐みを乞うたらいかがか?
 もう一度繰り返す、祈る霊魂が必要なのである。
 愛を以て祈る霊魂が必要なのである。
2004年11月04日 23時33分48秒
O......
Salus me!
2004年11月03日 23時59分12秒
つまりは
 色々と師父や聖人の言行を並べたてる自称霊的大家や、知識だけは詰め込んでも聖櫃の前に額づく事の少ない傲慢な頭でっかち等は、純真な心で無心に祈る方の比では無いって事である。
 良い勉強になった!
2004年11月02日 23時42分11秒
何よりも
先ず、御祷りですね。
天主に感謝し奉る!
2004年11月01日 22時03分14秒
何か
大切な事を忘れて居る気がします。
大切な物なのかも知れません。
でも、何なのか判らないのです。
何処かに置忘れたのか、
不意に落としてしまったのか、
それとも誰かに奪われたのか、解りません。
2004年10月31日 23時55分50秒
明日は主日である!
決行!
2004年10月30日 21時43分12秒
でもね
知らぬが仏とは云うものの…。

まぁ、気持ちは判らんでもないから、その件に就いては概ね肯定します。
2004年10月29日 23時47分54秒
感動した!
 衷心よりの叫びを聴いた。
 如何に鈍感な僕であっても、心に響かない筈が無い。
 御婦人は涙を流されて居たのですが、僕は一応野郎なので空威張りをせねば為らない、泣きたい時に泣けぬのは辛いものである。
 でも、チョコレートが美味しかった!
2004年10月28日 23時59分18秒
こんな時は
煙草の煙を燻らせながら、物思いに耽って居たものであったが、今では禁煙に因って其れも適わぬ。
別に煙を欲して居る訳でも無い、寧ろ嫌悪さえ抱く今日この頃である。
しかし、こんな時は煙が恋しい、目に沁みる位の煙が恋しいのである。
2004年10月26日 21時53分11秒
先天性の悲しき性なれど…
 己の不甲斐無さに呆れ恥ずる哉。
 嗚呼聖母よ、十字架に釘付けにせられ給える御子の傷を、我が心に深く刻ましめ給わん事を。


 また、我が代父の霊肉の快復を主に乞い求めん!
2004年10月25日 23時34分10秒
もう、本当に
泣きたい位です。
易かれども難き事哉、故に我祈らん。


金萬おいしいです。幸せを感じて居ます。ありがとう。
2004年10月24日 21時51分10秒
天主在ます故に我祈る哉
 そういう事です。

 祈らん!
2004年10月23日 22時08分13秒
天主に感謝し奉る!
 天主様の愛に触れた。
 これ以上は書くまい、否、書けない。
 僕が世界最高峰の作家だとしても、何らの表現等も出来る筈が無い。
2004年10月22日 23時56分34秒
修復を望む
 今日、某教会へ十字架の道行きに親しむ為に行きました。
 最近は各留の聖画が無い聖堂が多いらしいと聞き及びますが、行った先の教会にはちゃんと昔のままの聖画(正確には木彫りの彫像的)が掲げてありました。
 でもね、留の一箇所(敢えて十留前後としておこう)が無かったのですよ。
 小心者の悲しい性が出て、思わず慌ててしまったのは言うまでもありません。
 該当留を終えて立ち上がろうとした時、コケそうになったのは、この動揺のせいかも知れません。
 そんな訳で、先に黙想していたオジちゃん、一瞬うるさくして申し訳ありませんでした。
 今度行く時までには、コケない為にも修復しておいて欲しいです。

 その後ロザリオを一環唱える事が出来ましたが、そのうち、内陣にあった結婚式用セットが片付け始められました。
 片付けの音は気になりませんでしたが、片付け開始と共に流れはじめた録音グレゴリオ聖歌が煩さかった気がします。
 祈りを促す為に、囁くように耳に届く程度の音量だと良いと思いますが、あれでは、まるでグレゴリオ聖歌が自己主張している様に聴こえる音量でした。
 もうチョット音量の見直しを願いたくなりました。

 グレゴリオ聖歌と言えば、東京のカテドラルで行われる司教荘厳ミサが有名ですが、一々「ラテン語による」とか「グレゴリオ聖歌による」とか言う言葉を着けるのはどうかと思います。
 「司教荘厳ミサ」が第一義なのか、「グレゴリオ聖歌」が第一義なのか、はたまた「ラテン語使用」がそうなのか、何なのか良く判りません。
 本当に典礼でのラテン語の使用やグレゴリオ聖歌を重視しているならば、毎週、隔週、少なくとも毎月位の頻度で行なおうとするのではあるまいか。
 当然の事ながら、毎回盛大な司教荘厳ミサでなくとも良い、普通の歌ミサ、或いは歌を伴わないミサでも良いから、続けて行くべきだと思う。
 「ラテン語典礼、ラテン語聖歌の排斥運動に抗する!」というような檄を飛ばしているわりには、「排斥運動」が齎した現状を克服するどころか、それにおもねり「年に一回のお祭り」に甘んじてしまっている様に感じます。
 それに気付いて(勘違いかも?)以来、(数年は案内状が届いていましたが)参祷して居りません。
 小さくない組織力を有して居られるのに勿体無いです。
 逆に組織が大きいからこそ、色々と大変なのでしょうけどもね。


 禁煙はこれで八日目。こればっかりは修復して喫煙にならないようにします。
2004年10月21日 23時58分57秒
感謝!
 僕の知らぬ処で、僕の為に御祷り下さって居られる方々に感謝申上げます。
 そして、どうかこの胸の痛みを取り除き、解決させて下さいますように、引き続き御祷りを御願い致します。
2004年10月20日 21時53分28秒
どうかな…?
祈りの中で会いましょう。でも会えるかな?
2004年10月19日 23時58分19秒
五日目
 何時の間にか禁煙日記に成ってしまった感じである(笑
 関係者の方々、これ(禁煙)が重要問題では在りませんが、引き続きお祷りを御願い致します。一難去らずして又一難、然れど天主に感謝し奉る。
2004年10月18日 23時19分36秒
禁煙中である。
珍しい事にアルコールを補給しても、喫煙したく成らないのである。おまけに苛々も無かったりする。
人生の半分以上、ヤニに塗れて来た筈だが、こんな事は初めてであったりする。
本当に不思議である。何処かの誰かの祈りの賜物かも知れない。ありがたい事です。
2004年10月17日 23時56分15秒
三日目突入!!!
辛いです。


2004年10月17日 01時01分31秒:追記
(一応16日って事で。)

やっぱり、書き込みは控えよう。
2004年10月16日 06時42分31秒
敢えて無題
敢えて無記入哉。
2004年10月15日 23時15分25秒
Fiat! Fiat!
 主よ、我は御證明を悟れり、我は一切の完全に涯ありと見たれど、御誡のみいと廣し。?なる哉、主の誡の中に歩む者。

我が友等よ、貴殿等に公教徒としての惻隠の情在らば、此の不肖なる罪僕の為に祈祷られん事を衷心依り乞い願ふ哉。
2004年10月12日 23時02分17秒
Deo Gratias!
 聖母の祝日に賜った恵みに感謝!
 我こそは哀れなる罪僕哉、然して主よ憐み給へ。
2004年10月11日 23時50分57秒
四位なれども
良く健闘したと思います。

それに比べて・・・。
2004年10月10日 20時53分25秒
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