徒然なるままに日暮、パソコンに向いて・・・
徒然
 某神父様の書籍を二冊、古書にて購ってみた。
 読後に古書で購って正解だったと実感してしまう。
 同時に、以前熟読した某信徒氏の書籍も古書で購ったのだが、此方は購入して正解だった。
 が、古書籍を購入した件で妻より御小言を賜る。


 幼きイエズスの聖テレーズの映画二つを動画サイトにて発見し、妻と観賞する。
 不勉強極まりない僕が述べるのも何だが、どちらも一長一短で甲乙付け難い気がする。
 何れにせよ、視れて良かった映画であった。


 最後の親不知を抜歯する。 先に抜いた三つの親不知は比較的容易に抜けた(特に前回の抜歯はあっという間だった)のだが、今回は始めてメスを入れたりして手こずった。
 其処に在った筈のモノ(親不知)が無いのは寂しい気がするのだが、身体の擁護の為には致し方ない。


 妻の通院に付き添う。
 前回訪れた折りと相違部分が多々在ったので驚く。
 また、行く度に見られたのだが、今日は修道服を召したシスターを見掛けなかった。 


 極端に寒かったり、極端暑かったりして、寒暖の差が激し過ぎる。
 体調を崩さないように気を付けねばならぬ。


 教友に聖水を送ろうか否かと思案中である。


 御彌撒聖祭中、助祭で在った聖師父と同じ動作を為す事が在るが、本日は其の折りに、聖師父の心の一端を垣間見れた気がした。


 御彌撒聖祭が終わった後には、矢張り沈黙の中に潜心して感謝祷を捧げるのが公教会的だと思う。
 最近特に騒がしくなってきたのは残念である。


 と或る三巻揃の書籍の上下巻かしか所有していなかったが、やっと中巻を購入する事が出来た。
 三巻とも所謂概説でしかないのだが、重要点が簡潔に纏められていて、各概念の概略を掴む事が出来るのが良い。
 でも、各問題点の諸事例が少ないのが残念であるが、当分の間は此で充分である。
 面白いと思ったのは、此の概説と公教要理、教会法等が一つの環を為している事だ。
 各々が相違無く補い合って居るので在る。
 本当に面白いのだ。


 恩師が所持して居た映画のDVDを妻に購って貰う。
 多分シリーズものなので、数本の映画が在るのだと推測しているが、その中の一つを購ってもらった。
 が、何と!仏語版だったりして驚く。
 でも、まあ、字幕が邦語で出ていて意味が解るので、この際、不問にする事にする。
 映画自体は単純で面白かった。


 聖師父ならば、此の様な折りに如何に為しただろうかと思う事が多々在り過ぎる。
 特に、聖母被昇天の大祝日・大東亜聖戦停戦記念日の事を思うと、其の念が強い。


 教友と或る聖堂を訪れる。
 丁度正午になったので、アンジェルスを唱える。
 少なくとも、あの時間だけは、イエズス様と沈黙が支配している聖堂だった。
2010年07月15日 00時32分21秒
司祭叙階式
以下のURLにて、先日、エコンで行われた叙階式の様子が伺えます。
上から順番に視て下さいませ。

http://www.gloria.tv/?media=85131

http://www.gloria.tv/?media=85158

http://www.gloria.tv/?media=85279

http://www.gloria.tv/?media=85325

http://www.gloria.tv/?media=85361
2010年07月03日 21時31分25秒
二日目
 御聖体に在すイエズス様に御挨拶申し上げる為に、三箇所の御聖堂を訪問する賜物を頂いた。
 昨日程、種々の乗り物に乗る事無く散策を終える。
 美味しい夕食を頂き、温泉に浸かり、そして今、此の詰まらぬ日記を認めた後、ロザリオを爪繰り乍寝るだろう。
 束の間の休息が終わろうとして居る。
 天主様に感謝し奉る!
 妻よ、ありがとう!
2010年06月30日 22時48分25秒
初日
 妻のリハビリ旅行に出掛ける。
 天候は良くないが、妻が元気になると佳いな!
2010年06月29日 21時15分18秒
ひとりごと
 おい!コラ!覇王樹!もとい、At long last、もとい、Dans.., je n'étends pas....テメエ、いいかげんにしろよ!
と言ってみるテスト!
2010年06月28日 23時45分46秒
Oremus! Oremus!! Oremus!!!
 我が読解力が正しければ、米国の大神学校に続き、独逸の大神学校にて司祭叙階式が執行された筈である。
 各受品者の為に祈祷るのは勿論だが、欧州を巡礼中の我が代父様の為にも祈祷する。

 中村粲先生が逝去された。生前に賜りたる御好意及び御業績に対し感謝致し候。
2010年06月27日 16時34分44秒
今日の日記
 彌撒に仕える栄えを得、諸衆と別れた後、或教友と或る場所の近くにて遭遇する。後方から肩を叩かれた時には、何故か「ヤバイ!」思って仕舞ったのが我乍可笑しい。
 某所で各々其々の用事を足した後、教友と某所へ一駅分徒歩移動し、某所の休憩所で暫しダベる。某所へは久方振りの訪問だったが、佇まいは変わらねど雰囲気は相違が在る事に気が付く。独演会が無ければ、ダベる、もとい、会合(会議)が出来る事を確認し合ったりしてみる。
 帰宅後数分で古書を購ったのがバレて、一瞬怯んで仕舞ったのも我乍可笑しい。
 我妻はリハビリ小旅行の計画を嬉々として建てて居る。早く善く成って御彌撒聖祭に与れます様に!
 メイルの返信をお待ちの皆様方、今暫くの御猶予を!
2010年06月21日 22時27分45秒
Deo Gratias!
 天主様の御憐れみに依って、妻と連れ立って御彌撒聖祭に与る御恵みを賜れた。
 天主様に感謝し奉る。
2010年05月16日 17時00分34秒
 
妻の友人が来訪する。
が、秘蹟を受ける為に都内某所へ行かなければならなかった為、出向かえが叶わなかったのが心苦しい。

 聖堂にて暫し祈祷りたる後に秘蹟を受け、然る後、再び暫し祈祷る恩恵を得られたる幸を感謝する。
 当たり前の事だが、諸事万事に於いて天主様に従う事を第一義と為す様に改める。
 波風立ち、嵐が吹き荒ぼうとも、天主様と共に居る事を深く信じ自覚し、揺るぐ事の無き様に恩恵を乞う。

 日々の賜物に対する感謝を祈祷し、死生を問わず親族・恩人・友人・知人の為に御恵みを乞い願う。 

 天主様に感謝し奉る。
2010年05月08日 22時40分39秒
今日日思う事
 事実を事実として認識出来ず、良心的欺瞞を以て不毛な議論を闇雲に繰り返す事に無上の喜びを見出しているかの如き集団とは、何らの関係が無い事を善しとする。

 それから、我が家頁に掲載している「聖ピオ十世教皇聖下の聖楽に関する自発教令」なのですが、文章或いは文体の所々がMax.モードになっているので、必ずしも引用文献と同一ではありません。

 ウダウダと屁理屈を繰り返すだけの御歴々の巣窟に、Maxモードの「聖ピオ十世教皇聖下の聖楽に関する自発教令」を見出しても、当方とは何等の関係も在りませんし、巣窟に群がる御歴々の方々の御一人御一人個々人とも何の関係も関連も在りませんし、そう在って欲しいと願って居ります。

 人の褌で相撲を取るならば、其れ相応の対応が在って然るべきだとは思うのだが、盗人猛々しいと云う言葉を知らぬ者共に何を言っても無駄なのは重々承知はしているのだが、敢えて呟いてみる。
2010年05月06日 23時53分40秒
連絡等々・・・・・・
 アシジの霊父様と師母の娘達よりカードが届く。
 何時も乍の手作り・手書きのカードに忝なくなる。
 カードの表紙には、馴染みのラテン語が記されていて嬉しくなるが、それ以外は総てイタリア語なので、何度も読み返して大まかな意味を探ってみる。


 ガキの頃ギターを掻き鳴らしていたのだが、其の折りの歌曲を動画サイトにて見つけ、暫く眺めてみる。
 本当に懐かしい。


 動画サイトに教友が新しく事を為した模様で在る。今後を楽しみにさせて頂く事にする。


 壮大なるカラオケ大会の模様が動画に在ったので、少しばかり眺めてみた。
 相変わらず朗々たる歌誦朗読が為されないのは、準備不足もさる事ながら、単なるカラオケ大会だからであろう。
 また女性のヴェール姿が決して多くないのも、カトリック信仰そのものを堅持するのでは無く、現在の教会の現状そのものに固執するスタンスが気持ちよく、概して聖伝的では無いからであろう。


 過日に先の教友とは別の教友と連れだって、同人誌を貰いに行く。
 偏狭な思考の凝り固まり方、嗜好の隔たり方も同人誌に相応しい気がする。
 どうでも良い個人史を書き続けている方もアレだが、載せる方もアレで在るし、読む方もアレで在るが、性懲りも無く新規の個人史が登場していたのには唯々呆れるしか在るまい。
 まあ、僕も性懲りも無く同人誌を貰って来たので、妻に怒られたのは言うまでもない。


 メイルの返信が滞って居ります、関係者各位の皆々様にお詫び申し挙げます。


 果たして在俗第三会の件に就いては、進展があるのだろうか?
 敢えて念を入れては於かなかったが、本当に大丈夫で在ろうか、少々処か思いっきり不安になって居る。

 聖ヨゼフ様の特別の御助けを乞い求めつつ。
2010年05月01日 22時47分38秒
お気に入り
犬が好きだし、干支も犬だからと云う訳でもないが……

http://www.youtube.com/watch?v=SGq1641reC8&playnext_from=TL&videos=2E7_vgKIv50
2010年04月20日 00時33分19秒
今日は師父の記念日
 モノの本には本日は
「Die 16 Aprilis. In Commemoratione Solemni S. P. N. Francisci Conf.」
と在る。
 第一会のみならず、在俗第三会も此の記念の日(或いは黙想会の時)に、誓約の公的更新をする。
 そんな訳で会則と会憲をもう一度見直す。(特に、生活上の規律を)
 見直し序でに、色々と見直してみるが、見直し過ぎて在俗第三会への召命が無い可能性をも探ってみたりして、少々不安になってみたりもする。(管区長様〜!)
 因みに、在世会の本(赤カバーと会憲ね)には今日の記念日は無印なのであった。

 本日は教皇聖下の誕生日でもある。
 聖下!幾年も!

 モルゴンの母院から、御復活の挨拶状と共に兄弟達の集合写真が送られてきた。
 何時もの事だが、アシジの霊父様と姉妹達にも思いを馳せる。

 天主に感謝し奉る。
2010年04月16日 22時38分11秒
 祝!御復活!
 吾等の主イエズス・キリスト御復活の御喜びを申し上げます。

 今年は例年よりも復活の挨拶状を遅く発送させて頂きました(国内用に至っては今夕)。

 インターネットを通して、Urbi et Orbiを拝し、教皇様の祝福を頂く。この意味に於いては本当に佳い時代になったと熟思う。

 愈々、各管区長様より本部の総長様への今次ロザリオ十字軍の報告の締め切りだ。果たして、目標は達成せられるのか否か?


 敬愛なる修道女様より、御復活の挨拶状を頂く。震える手で認められた信仰の感覚に溢れる書簡を拝し、忝なくなる。
 また、在世会某兄弟会の会長様や教友達からもイースター・カードを頂く。全く忝ない。

 復活し給う主の祝福と平安が、全地に充ち満たされん事を!

 吾等の主イエズス・キリスト御復活の御喜びを申し上げます。
2010年04月04日 18時22分59秒
堅振式
 アメリカの聖ピオ十世会の一聖堂にて行われた堅振式の様子が、YOUTUBE上にアップされている。

http://www.youtube.com/watch?v=VtGEu4N4FJ4&feature=youtube_gdata

 塗油の前に受堅者に「手を合わせなさい」と司教様から指示を受ける場面があったのを見て、僕が新形式の堅信式を受けた時の事を思い出した。
 というのも、僕が受けた時には教会委員の方に「塗油の際には手を合わせるな」と指示されたのだが、意に介さず手を合わせていると其の教会委員の方に合わせている手を振り解かれ、僕の番になって前に進み出る時、更に尚も手を合わせ続けて司教様の前に出る寸前に祭壇の向こうにある御聖櫃に在しますイエズス様に敬礼をした処、同じ教会委員に敬礼を無理矢理止めさせられ、再び「手を合わせるな」との指示を受けたのだが、僕は相も変わらず手を合わせ続けたので、彼の教会委員に睨まれつつ司教様の前に進み出た。
 合わせている手を一瞥した司教様は、教会委員以上の形相で僕を睨んだので、「手をあわせるな」の命令は、僕の目の前でミトラを被って居る此の御方から発せられたのだと判ったので在る・・・・・・という様な事を思い出したのだ。

 次回の堅振式をあてもなく楽しみにする事にする。
 
2010年04月01日 21時09分47秒
いろいろ
 聖ピオ十世司祭兄弟会主宰による第三次ロザリオ十字軍が終わった。
 今次十字軍では、小野田神父様が「日本から十二万環のロザリオを集める」と云う大目標を打ち立て、何と十二万環を達成したのだと言うのから驚きと喜びが交差して居る。
 今次十字軍では、全世界から千二百万環のロザリオを集めるのが目標で在るが、果たして如何なる結果になるので在ろうか。
 甚だ僭越では御座いますが、最末端を汚す者として、多くの方々の御厚意御好意に心より感謝させて頂きます。



 御彌撒聖祭に与れた御恵を降された天主様に感謝し奉る。
 但し、司祭に侍りし折りに、屡々祈祷に没頭し過ぎた点を反省する。
 如何なる時も沈黙を愛そう。天主様は沈黙のうちに御降誕され、沈黙のうちに御復活されたのだから。
 言葉を発する前に、祈りと熟考を以て暫し沈黙する様に心掛けよう。




 敬愛なる叔父の訃報が届いたが、訳在って葬送には行けなかった。
 時を同じくして、甥が近くに立ち寄ると耳にし、愛する甥に合いに行った。
 ホンの一瞬だけしか会えなかったが、多くの方々の気遣いに依り会う事が出来た。
 逝きし叔父より受けた愛に負けない位の愛を以て、甥や姪達に接したい。




 熾天使的在俗第三会の話は、遅々として全く発展しない。
 然し天主様に信頼を以て待とう。
 焦らず急いで肩布と腰紐を準備したいのだが、日本では入手は困難らしい。
 さて、如何するか?




 業務連絡
 「いざ天の群集よ、歓び躍れ、天主の玄義よ歓び楽しめ・・・・・」を歌い、或いは奉読する前には、福音奉読前の所作を行うのだから、平信徒に歌唱させるのは憚かられる行為で在る処か、端から禁止されて居る事項で在るし、一体全体、平信徒に歌唱させる許可を与える権限は何処から出ているのだろうかと、僭越では在るが甚だ疑問で在るのだ。
 そんな訳で矢張り、止めて於く事にしたのだが、メイルを送付して下されば幸いです。
2010年03月30日 14時19分47秒
師匠の帰天日
 本日は我が師匠神父様の帰天日だった。
 師匠と巡り合えた御摂理に感謝している。
 今迄巡り合えた邦人司祭の中で、善き司祭として五指に入る方である。
 司祭を測ると云う事、其れ自体が不敬に当るのかも知れないが、司祭を測る物差の形成に一役買っているのが師匠神父様である。
 聖母の祝日の前日に帰天された師匠神父様の弟子である事を誇りに思う。

 明日は、ロザリオ十字軍の最終日及び御告げの祝日、そして、ルフェーブル大司教様の帰天日でもある。
 夕方位迄、我が家の家庭祭壇の十字架の下には師匠神父様の葬儀の折に配られた御絵が飾ってあったが、いつの間にかルフェーブル大司教様の御絵に妻が替えてくれていた。

 何時も以上に、熾天使的修道家族形式の祈祷文を以て、恩人達の為に祈ろう。

 妻に感謝。何時もありがとう。
2010年03月24日 23時28分56秒
業務連絡
 我、赤出汁OKなり。
 我、赤出汁は嫌いではありません。

 何時もありがとうございまする。

              以上。
2010年03月24日 23時15分03秒
叱られっぱなし
 三時間と少し前に帰宅してから今まで、祈祷りの間を覗いて、妻に叱られ続けた。
 三十代最後の夜だと言うのに・・・・・・。
 縁在る総ての方々に、天主様の御憐れみと祝福が降されん事を祈祷り、且つ無沙汰の海容を乞い願いつつ。
2010年01月27日 23時03分40秒
Deo Gratias!
唯天主様への感謝在るのみ。
2009年12月15日 23時13分21秒
泥の付いたピン札
 何だか知らないけれど、妻曰く、古尾谷雅人演じるトラック運転手の愛想の無いブッキラボウさが、僕に似ているそうだが、それはさて置き、「泥の付いたピン札」を理解し、涙するのは昭和人だけなのだろうか?と云う疑問が、ふと頭を過った↓

http://www.youtube.com/watch?v=-W5j0MrNvXE&hl

 この疑問が過ったのは、今朝、跪いて学ぶ事を知らぬが如き若人を見たからかも知れぬ。

 皆様、我が為に養父聖ヨゼフに祈祷って下さい。
2009年10月20日 21時25分41秒
最近耳にした珍奇なる御高説
 御彌撒聖祭中に於ける御聖体・聖爵の奉挙(Elevatio Major)の折りには、御聖体及び御聖血を仰ぎ視奉る、或いは、崇め視奉るものだと信じ且つ行っていたのだが、高名なる大学者先生が曰いたる御高説に依ると、其の様な行いは間違いで「異端」なのだそうだ。

 此の御高説を曰いたる学者先生からすれば、一介の労働者に過ぎぬ僕など塵に等しい位の身では在るが、此の御高説が珍奇・珍妙なる部類に属すること位、無能なる頭を使わずとも感覚的に判る。

 だが、無い頭を駆使しても判らぬのは、此の様な珍妙なる御高説を曰いて憚らぬ御方が、一部の詐称保守と云う好事家達の中では旗手的存在で在るのが解らない。
2009年10月20日 14時40分09秒
サン・ダミアノの十字架
 教友より「どうもサン・ダミアノの十字架には馴染めぬ」旨を伺った。
 以前の僕も同意見で在った事を思い出す。

 僕がサン・ダミアノの十字架を受け入れる事が出来たのは、アッシジのサンタ・キアラ聖堂で実物を視たからでもなく、サン・ダミアノ聖堂を訪れたからでもない。
 師父や師母のように、貧しく生きる兄弟姉妹に出会えてから、サン・ダミアノの十字架に馴染めるようになったのだ。

 そう言えば、フランシスカン・ロザリオの十字架をサン・ダミアノの十字架に換え十年以上の月日を経て、やっと受け入れる事が出来たのだと今更気が付けた。


 もっともっと聖ヨゼフに祈祷る必要に迫られる。


 天主様に感謝し奉る。
2009年10月18日 21時38分24秒
幸せ
妻と連れ立って御彌撒へ与れる御恵みと幸せを感謝する。
2009年09月28日 23時21分25秒
「似非」と「自惚」には注意しよう!
モノの書物には次の如く記されて居る。

「病的現象者の精神力は次第に衰え、道徳は退廃し、態度や言行は偽善、欺瞞、粗暴、野卑に充ちたものとなる。

しかし真の超自然的現象者は理想的完徳を表し、天主と他人との為に尽くし、非常に明らかな知恵と強い意志を以て大事業の遂行にも耐え得るので在る。

要するに、病的現象者と真の超自然的現象者との間には大きい相違が在るので、これらを区別するのは比較的容易で在る。」

故に、注意しましょう。
2009年09月25日 23時40分14秒
片腹痛い
 どっかのカテドラルが異端のイベントに使われるらしいのだが、自称「保守」様の方々にとっては、それがとても嫌で厭でしょうがない事らしい。
 でも今まで、コンサートやら何やらで、イベント会場として散々使われ続けていたので在る。
 自称「保守」様達は、司教座聖堂がイベント会場として使われていた事実をどう受け止めているのだろうか。
 どっかの「異端」のイベントに使用されるのは厭だが、何かしらの興行に使われていたのは不問に付すのであろうか。
 何を今更という気がしてならない。
 自称「保守」様方は、単に「保守」という言葉を保守したり、己が保守であると公言して悦に入るだけの御歴々なのかもしれぬ。
 御歴々のスタンスを固持する為に雁首列べて保守ズラをしても、天主の家を堅持する為に何もせぬ輩共が屯する掃溜めで気持ちよく漂っているのが「自称保守」或いは「自称保守派」なのである。
 単なる御都合主義を臆面んも無く「保守」して居る輩共が、抜け抜けと吐く雑言に呆れる今日この頃で在る。
2009年09月10日 23時24分52秒
政治には疎いのだが・・・・・・
 前政権を担ってた政党は「亡国」の趣きが在ったが、現政権に当て嵌まる言葉は「売国」で在る。
2009年09月07日 22時22分31秒
辛い
クタクタに疲れていて、泥のように眠り痩けたいのに、色々あって眠れないのが辛い。
今日が休みで助かった。
2009年09月04日 05時11分04秒
屋内に於ける幸せ
 屋内にて御彌撒聖祭に与れる幸を天主様に感謝し奉る。


Amiens, les infatigables toujours à la rue
http://www.youtube.com/watch?v=GdTdKqJkbGg

Amiens. La messe à la rue
http://www.youtube.com/watch?v=u1xr_29InDA

Messes traditionnelles dans la rue à Amiens: l'Histoire
http://www.youtube.com/watch?v=Ti-l9K3691o

Catholiques à la rue
http://www.youtube.com/watch?v=8jDC-AODvhY

Amiens, Catholiques a la rue
http://www.gloria.tv/?media=19514

Blog « Amiens, des catholiques à la rue »
http://www.amiens-catholiques-sdf.com/component/option,com_frontpage/Itemid,1/

上記Blog内「Photos et vidéos」
http://www.amiens-catholiques-sdf.com/content/blogcategory/3/8/
(ここに2007年頃?からの写真や動画がたくさん入っています。)
2009年08月14日 16時02分51秒
おかえりなさい
 帰宅途中、とある駅に電車が停まり、駅名を告げるアナウンスが響き渡る。
 「あっ、降りなきゃ!この位置では乗り換えに時間が掛かる、何で此処に乗ってしまったんだろう?」
と思いつつ、乗り換え先のホームに目を遣り電車の有無を確認しながら、電車から降りようとした処で気が付く。
 「退院したんだ」
 僅か一週間足らずとは云え、この駅で乗り換えて妻が入院している病院の最寄り駅迄通うのが習慣になりつつあった事に気が付く。

 明かりが灯っている家にたどり着ける幸せを噛みしめて居ります。

 イエズス・キリストは賛美せられさせ給え!

 妻よ、おかえりなさい!
2009年06月29日 21時18分09秒
無題
入院先へ妻を送り届け、誰も居ない家へ帰る。
扉の先には誰も居ないと解っては居り乍も、其処に矢張り居ないと寂しいもので在る。
何か喪失感にも似た感慨を味わう。

天主様の聖名は永久に讃えられます様に!
2009年06月23日 01時02分57秒
落ち着かない
 妻が入院した。
 家に帰って来たが、諸事に於いて何となく落ち着かない自分を可笑しく思う。
 天主様に賛美在れかし!

 妻に病者の祝福をして下さった霊父様に御礼を申し上げる。
2009年06月22日 22時00分48秒
感謝
今月も妻と共に御彌撒聖祭に与れる恵みを賜れた。天主様に感謝し奉る。

明日から妻が入院する予定。
皆様方の御祈祷りをお願い致します。
朝起きたら、病気が治ってたら良いな!
2009年06月21日 23時53分06秒
電気剃刀
生まれて此の方、電気カミソリを使った事が無かった。
正直に言えば、ひげ剃りに電気機械を使うのが怖かったので在る。
刃物で在る普通のカミソリの方が怖い、との意見を多々伺ったりしたのだが、電気よりも刃物の方が怖く無かったので、今迄カミソリを使って来たので在る。
其んな僕が何故、電気カミソリを使う様になったかと云うと、電気鼻毛カッターを買って貰った事に端を発するので在る。
意外に怖く無く、何よりも手軽で在る、と云う感想が電気カミソリ導入に踏み切らせたので在る。
んで、妻に買って貰い実際に使って視た処、怖く無く手軽で在った。
今迄怖ず嫌いで在った自分を恥じている次第で在る。
実際に使って視て、深剃が如何とか、三枚刃が如何とか何とかの御託の意味が解ったりもした。
2009年06月21日 06時48分57秒
Ad Deum, qui laetificat juventutem meam.....
 今朝も御彌撒聖祭にて、天主の祭壇に仕え奉る霊父に侍る御恵みを賜った。
 その後、朝食を頂き乍らの談笑と相成った。
 就寝前に読んだ「カルワリオの再現とマリア」に関連する話が出て来たのには驚いた。
 若しかしたら、在俗第三会の件で進展が在るかも知れない。

 妻と古書街を暫し徘徊するが、品薄と高値を視るにつけ、昨夜の事が悔やまれてならない。
 天主様に感謝し奉る。

 妻よ、有難う。
2009年05月18日 19時02分55秒
Introibo ad altare Dei....
 此度も、真に畏れ多い事だが彌撒聖祭を挙行される霊父様に侍らせて頂いた。
 天主様に感謝し奉る。

 御彌撒の後には、あの顔に一言、この顔に一言、見知らぬ顔に一言、・・・と声を掛けたいのだが、如何せん時間が無いのが残念で在る。
2009年05月17日 20時05分26秒
いやはや
 「まことにはや」とも云う。
 僕に就いて或る自称教外者の御方が「カトリックですか」なる疑義がWEB上にて呈されているのを、妻が偶々見つけてくれた。
 全く阿呆らしくて、「いやはや」と云う言葉しか出ない。
2009年04月23日 14時54分12秒
雑感
 先日も同様な事を呟いたが、天主様と其の教会で在る羅馬公教会に於いて、誓いを立て、司祭の位に上げられたにもかかわらず、今や其の誓いを反古にし、其の司祭たる身分と職務を放棄して居る身で在る者が、其の実体は如何にせよ、今も聖職に留まって居る者に対して、在ろう事か批評・非難の狼藉を働いて憚らぬ神経が理解出来ぬ。

 又、公教会に於いて立てたる公の誓いを平気で反故にした如き輩の言説を有難く拝し奉る一方で、其の実態は如何にせよ、表層だけかも知れぬが一応は公の誓いを守り続けて居る聖職に対し、敬称を敢て略して憚らぬ愚を愚とも思わぬ輩共も、自称保守として跋扈して居り、此れ等も変態的としか言い様の無い態で在り、矢張り理解出来ぬ。

 変態的保守等は、其の基軸のズレを修正し、信仰上の教養を補填すれば何とか成りそうな希望も無きにしも在らずなのだが、高飛車な還俗司祭の場合、確かに高学歴かも知れぬが、其の無神経・無思慮・無配慮・無教養を世に誇示して居る愚に気が付けない位に耄碌して居るやも知れぬ故、手の施し様が無い気がするので、せめて其の役立たずの毒牙を己にのみ向けて頂きたいと思う次第で在る。

 それから、知ってか知らずか判然としないが、一方に於いては理解と好意が在る様に装い乍ら、他方では其方を貶めても恥じぬ輩も居るのだが、此の態の如き輩にも信を置く気がせぬ次第で在る。

 少なくとも、是等の雑多と一緒くたにされ得ぬ立場に居る事を、其の立場に立脚して揺るがぬ信仰に導き且つ与えて下さった天主様依りの御摂理に感謝し奉る。
2009年04月14日 23時32分15秒
實に復活!
Sat funeri, sat lacrimis,
Sat est datum doloribus:
Surrexit exstinctor necis,
Clamat coruscans Angelus.

死も涙も悲しみも、
はやこれにて足れり。
死に勝ち給いし御者甦り給えりと、
輝ける天使は告げん。


Surrexit Dominus vere, Alleluja!
主、眞に復活し給いたればなり、アレルヤ!
2009年04月12日 21時43分36秒
雑感
http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/12/12.html
2009年04月06日 23時59分56秒
久方振りの御彌撒
 先月は仕事の関係で御彌撒聖祭には与れなかった。

 久方振りにイエズス様の御受難に立ち合う賜物を頂けた。

 昨日は一会衆として参与させて頂けたのだが、会衆は立ったり座ったり跪いたりと、色々と忙しいものなのだと認識を新たにさせられた。

 彌撒聖祭に於いて司式者の傍にて侍仕え奉る栄えに、多くの男子が気付いて下される様に祈る次第である。

 母院の担当司祭よりの許可は出ているものの、第三会員としての着衣式と修練期が伸び延びになっているが、これも指導者不足が原因なのだ。

 聖週間が始まり、頂いた枝を誇らしく持ち帰った。

 束の間の休息が終わる、一瞬一瞬の今を愛を以て精一杯生きよう。
2009年04月06日 20時14分46秒
感謝
感謝!
2009年03月03日 23時24分26秒
Oremus pro benefactoribus nostris.
 今、僕達夫婦の大恩人がマスコミの歪曲報道によって苦しめられて居られる。
 大恩人の緩急なのに僕達夫婦には祈祷りしか奉ずる術が無いのが心苦しい。

 此の一連の騒動に乗じて、己は恣意的なマスコミ報道を敢て真に受けて、滔々と過重な非論理的批判を垂れ流しておきながら、他者には「批判は控えるべき」等と恥ずかしもなく雑言を吐いて悦に入る自称教外者も居たりするらしい。
 教外者を称するならば、相応の礼儀と云うモノが伴うので在るのだが、根幹よりの恥知らず者故、其れを期待するのは端始から無理なのだろう。

 愛する大恩人の為に、拙い乍らも引き続き祈祷り続けよう。

 今日の灰の水曜日「灰の祝別式」式文中にて
 「Memento, homo, quia pulvis es, et in pulverem reverteris.
 (人よ、汝塵土なれば、又塵土に復るべきを憶えよ。)」
に差し掛かった時、先日、大恩人が聖座の当局者に認めし書簡中に在りし聖書よりの引用箇所を思い起こした。
 「“ Tollite me et mittite in mare, et cessabit mare a vobis; scio enim ego quoniam propter me tempestas haec grandis super vos ”
 (我を取りて、海に投げよ。然らば、海は、汝等の為に静かにならん。即ち、我は、此の大嵐は我が為に汝等に来れる事を知る)」

 親愛にして敬愛なる大恩人の為に、拙き祈祷りと犠牲を天主様に捧げよう。
 大恩人は天主様の聖名の為に、僕達に善き事を為して下さった御方なのだから。

 Retribuere dignare, Domine, omnibus, nobis bona facientibus propter nomen tuum, vitam aeternam. Amen.
2009年02月25日 22時12分04秒
雑感
 天主と其の公教会に誓って司祭の位に挙げられたのにも拘らず、還俗、つまり天主と公教会に立てた誓いを反故にし司祭職を放棄した者が、いけずうずうしくも公教会に就いて恰も御意見番の如く高説を垂れる無神経さが理解出来ない。
 所謂聖職者の身分を放棄した者が、如何な行状を為す者で在れ共、聖職に留まって居る者に対して雑言を垂れる無神経さが理解出来ない。
 司祭叙階と云う、確固たる召命の証を賜り乍ら、己の立てたる誓いを反故にする様な者の言動に信が置けるで在ろうか?僕ならば、少なくとも信を措く。
 また同様に、詳しくないとか知らないとか前置きをしておきながら、御高説を垂れる無責任さも理解出来ないし、批評を為してはならぬと宣いつつ批評を為す愚を為しても恥じぬ無神経さも理解出来ない。
 在る者に対して、彼方では歯の浮く如き賛辞を宣いつつ、此方では貶める言動をしても恥じぬ者も居るが、其の様な事を為しても泰然として居られる無神経さが理解出来ない。
 所謂保守と謳いつつも、其の実は単なる保身に過ぎない人を眺めて感じた雑感で在る。
2009年02月03日 23時16分24秒
御降誕
 待降節が終わり御降誕の大祝日を迎え、貧しき我が家にも幼きイエズス様を迎える事が出来た。

 貧しさの中で御生まれになられたイエズス様に思いを馳せ乍ら、清貧に生きた聖師父だからこそプレゼピオを始められたのだろうと勝手に納得する。

 パン菓子(?)もシュトーレンからパンドーロに換わり、小祭壇脇に並ぶクリスマス・カードの数も増えてきた。

 天主様の御憐れみと、多くの方々の御祈祷り及び愛徳に支えられつつ、新たな年を迎え且つ生きて行けます様に!


 天のいと高きところには、天主様に栄光
 地には善意の人々に平和、教会の中にも平和
 我が祖国の中に平和、我が家にも平和
 我が心の中にも平和が在らん事を。


 二十日前に遺失した指ロザリオが戻ってきた。
 天主様に感謝し奉る!
2008年12月27日 23時40分50秒
パネトーネ
 典礼の暦が御降誕になる頃、恩師からパネトーネを頂いた事を思い出す。
 その時期になると、恩師の元の赴任先のパン屋さんから、沢山のパネトーネが届いて居った。
 なんでも、そのパン屋さんにパネトーネの作り方を教えて作らせたそうで、それ以来、任地が変わっても送り続けてくれるとの事だった。
 そして、送られてきたパネトーネを、今度は以前赴任した方々の地の誰某に発送するので在る。
 「このパネトーネは何処其処の誰に送って、このパネトーネは・・・・・・」等々と、世話係の御婦人に子供の様に嬉々としながら指示をしていた。
 今年の我が家のパネトーネを見繕い乍、この間帰天日を迎えた恩師とパネトーネの事を思い出した。
2008年12月15日 21時56分29秒
雨の日と寒い日には
雨や寒い日には、アッシジに居る聖師父の兄弟と、聖師母の娘達の事に思いを馳せ、天主様の一層の御保護を願わずにはいられない。
2008年12月09日 23時58分02秒
祝!無原罪の御孕りの大祝日!
T Pace e Bene!

聖母の無原罪の御孕りの大祝日の御慶びを申し上げます!

Immaculata Conceptio tua, Dei Genitrix Virgo.
天主の御母なる童貞女よ、御身の無原罪の御孕りは、
Gaudium annuntiavit universo mundo.
全地に喜びの知らせとなり給うた。
Liber usualis P. 1320


今年は福者ヨハネ・ドゥンス・スコットゥスの帰天800年周年であった。
その所縁でローマ在住の小さき兄弟から福者のパンフレットを頂いたのだと、今頃気付く。
んで、下はパンフレットの表紙の福者の画へのリンク。
http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/images/bjds/ds.jpg


画像がダメダメで申し訳ありませんが、小さき兄弟達が土曜日の夕食後に歌ってた、無原罪の御孕りを讃える聖歌「Tota pulchra es, Maria」の譜。
http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/images/bjds/tt.pdf
http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/images/bjds/tota.jpg
上記の祈祷りは、無原罪の御孕りを讃えるノヴェナの祈祷りにも使われます。


無原罪の御孕りは、イエズス・キリストの御受難の果実。
2008年12月08日 23時11分41秒
待降節の祈
 妻と公教会祈祷文中の「待降節の祈」を唱えていた時、同名同文の祈祷文でも祈祷書によっては、先唱の箇所に相違が在る事に気付かされた。
 大した事ではないかもしれないが、興味の在る方は以下を参照されたし。
 http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/images/precum/preces1.jpg
 http://www.geocities.jp/sanctae_romanae_ecclesiae/images/precum/preces1.pdf


 今日からアドヴェント・クランツ(Advent Kranz=待降節花冠)が二本灯る様になった。
 もっとも、リース無し蝋燭のみなので、アドヴェント・キャンドルとでも称するのかも知れない。


 海外在住の教父・霊父・教友宛に、クリスマス・カードを送った。
 我が家からの拙い祈りの籠った挨拶が、無事に届きます様に。


 明日は、無原罪の御孕りの祝日だ。
 拙き九日特祷を捧げつつ、大きな喜びを以て祝日を迎える幸せ。

 V/. Immaculata Conceptio est hodie sanctae Mariae Virginis. (今日は童貞聖マリアの無原罪の御孕りなり。)
 R/. Quae serpentis caput virgino pede contrivit. (蛇の頭を砕き給える童貞。)
 (第一晩課 賛歌の後の小応誦より)


 皆様方のより一層の御祈祷を乞い願いつつ。


 Deo Gratias!
2008年12月07日 17時23分41秒
待降節
 早いもので、教会の暦は待降節に入った。
 月日の経つのは本当に早い。

 熾天使的修道家族の一祈祷を以て、無原罪の御孕りの九日特祷を開始した。
 
 主よ、我らを顧み給え。
 主よ、我らを憐れみ給え。
 主よ、我らの希求を聴き容れ給え。
2008年11月30日 01時16分06秒
列福式 2
 本日、件の聖体拝領の場面を再度観てみた。
 あの時は「ヒッタクリ」だと思っていたのだが、改めて観てみると其れ程の乱暴性は無かった。
 しかし、御聖体に対する畏敬の念が皆無、或いは著しく欠如した酷い行為で在る事には変わりがない。
 また、当人がスタッフで在るか否かも解りかねる事に気が付いた。
 もしかしたら信徒ではないのかも知れないが、授与者は矢張り「赤いカズラ」を召された御方だった。
 チボリウムを奉持する司祭、御聖体拝領前に脱帽して最敬礼する信徒の姿を拝す一方で、無表敬の姿も視られるのは残念で在る。
2008年11月29日 23時45分18秒
洗礼式
 先日、洗礼式に参与する御恵みを賜わったが、これで四度目になる。

 一度目は、異国にての病床洗礼だった。
 病床とは云え共、受洗者は翌日に帰天されたので、見方に依っては臨終洗礼に為るやも知れぬ。
 重病とは申せ、己より若い者が先に鬼籍に入るのは辛いのだが、永遠の福楽に至る恵みを得られたのが幸いで在る。
 善い機会を賜れたと感謝して居る。
 授洗者は霊父様。

 二度目は教友の御子息の受洗の時。
 授洗者は管区長様。
 式次第を作る位の予習が出来たので、戸惑う事は無かった気がする。
 御子息は健やかに成長中。

 三度目は、今回の受洗者の御姉様の洗礼式。
 授洗者は共に霊父様。

 洗礼式に立ち会う度に、キリストの神秘体の新しい肢体の誕生の慶びと共に、己の信仰を改め直す自戒の機会にもなる。

 天主様に感謝し奉る。
2008年11月26日 09時32分27秒
列福式
 列福式のウエブ中継を観る機会を賜れた。
 僕は信仰の先達の列福を心より喜ぶ者で在る。

 だが、中継中に気になる一場面があった。
 それは御聖体拝領の時の事。
 「スタッフと覚しき格好をした」者が、「赤いカズラ」を召した御方が右手に示した御聖体を、"取り上げる"と云うか"ひったくる"態で奪い取った場面が映し出されたので在る。
 「赤いカズラ」を召された御方が、それを咎める事無く黙認された事実に呆れる次第である。
 取る方も取る方だが、取られる方も取られる方である。
 信仰の感覚が麻痺した教会の患部が露見したのであろうか。
 列福と云う慶びの中に、些か乍もショックを覚えた光景で在った。
2008年11月25日 18時15分39秒
ルルド巡礼
http://jp.youtube.com/watch?v=xPIEls32f1A

上記URLは、聖ピオ十世司祭兄弟会主催のルルド巡礼の一コマ。
行列中には、愛する小さき兄弟達や懐かしい姉妹達の姿が垣間見れた。
因みに、敬愛なる霊父は3分44秒〜4分00秒位に映っている。
2008年11月03日 21時46分42秒
エトセトラ
 手軽な紙オムツが普及しているためなのだろうか、襁褓(おしめ・むつき)が干して在る光景が視られなくなって久しい。
 僕が子供の頃には、彼方此方で襁褓を干して居るのを見かける事が出来たし、其れは其の家に新しい命が生を受けた徴、新しい家族が誕生した徴でも在った。
 「襁褓の洗濯が大変だ」と笑っては、洗濯に勤しんで居た婦人達の姿も懐かしく思われる。
 道端に無造作に棄てられて居る「紙オムツ」を見かける度に、襁褓を縫い、洗い、繕ってくれた母や祖母への感謝の念を覚える。
 その辺に遺棄されたベビーカーを観る度に、背中で育て、あやし、泣かせ、寝かせてくれた方々に感謝の念を覚える。
 便利さ、快適さと引き替えに、大切なモノを失って居るのではないかと、遺棄された育児用具を見せつけられる度に思うのだ。
2008年10月27日 22時44分44秒
童貞様よりの書簡
 妻充てに童貞様から書簡が届いた。
 カトリック的な愛と謙遜に満ちた書簡で在った。
 童貞様と巡り合わせて下さった御摂理に感謝しよう。
2008年10月22日 11時17分47秒
食前・食後の祈祷り
 以前、カトリックの名を冠した或る集いに参加した時の事で在る。
 一連の行事が終了し、お開きの前に皆で軽く食事をしようと相成った。
 各々が食したい物をテーブルに運び、一同が揃った処で会食がスタートしたのだが、他の方々は食前の祈祷りをなさらずに箸を付けられたのには面食らった。
 御一同が所謂教会左翼系の方々ならまだしも、所謂保守派を自称される御歴々だけに、正直に云わせて貰えば唯「呆れた」ので在る。
 しかも当然の如く食前の祈祷りをしたこっちが、バツが悪く為る態なのだ。
 爾来、所謂「保守派」と云うモノに対し、距離を置く様に成った。
 彼等は一体、主を等閑にして何を保守するので在ろうか。
2008年10月20日 17時03分43秒
O sanctissima anima
 師父聖フランシスコの祝日を拙い九日特祷で迎える恵みを賜った。
 縁ある凡ての方々に天主様の祝福が在りますように!
2008年10月04日 23時30分51秒
御聖体訪問
 妻と連れだって近隣の教会を訪問し、イエズス様へ御挨拶申し上げる。
 帰り際に教会売店で、或る聖母像を購って貰い、偶々居合わせた神父様に祝別をして頂く。
 天主様に感謝し奉る!
2008年09月01日 22時02分45秒
御聖体訪問
 本日の昼過ぎに、訪問先より無事に帰還する御恵みを賜った。
 行く先々の修院で御聖体訪問をする御恵みをも賜った。
 御聖櫃に在すイエズス様が、御許に御呼び下さったのだ。

 今日も空き時間を修院訪問に充てる御恵みを賜った。

 天主様に感謝し奉る!
2008年08月27日 23時05分28秒
童貞様方
 今朝は妻が御彌撒聖祭に与る御恵みを賜った。

 今日は二カ所の修道院へ伺い、童貞様方に謁する恵みを賜った。
 今度は御礼参りに伺う機会を賜れる様に天主様に祈る。
 昨日に引き続いて童貞様方に御世話になり、童貞様と接する事が出来た妻が、非常に喜んでくれたのが嬉しかった。

 また、妻の友人の御陰で、夏も終わろうとして居る矢先に、打ち上げ花火を視る事も出来た。

 天主様に感謝し奉る。
2008年08月26日 22時36分08秒
聖王ルドヴィコ9世の祝日
 今日は第三会の保護聖人の祝日で、今朝は御彌撒聖祭に参与する恵みを賜った。
 明日こそは、妻も主の御受難の更新に参与出来る恩恵を賜れます様に。


 追記
 少々遅い夏休みを頂いて、知り合いの童貞様の処へ妻と一緒に出掛ける。
 信仰上のアドヴァイスをして頂いたが、何よりも元気を頂いた。
 妻は童貞様とは初対面だったが、深い感銘を受けたそうだ。
 願わくは死せる信者の霊魂、天主の御憐れみに依りて安らかに憩わん事を。アメン。
2008年08月25日 11時43分31秒
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