聖体の殉教者

 昔ローマ帝国の皇帝達は、いずれも基督教を嫌い、代々その信者等を苦しめて信仰を棄てさせ様としましたが、三世紀の中頃帝位に即いたヴァレリアノも同様、教会に対する迫害をやめようとはしませんでした。けれども聖教は益々拡まるばかりで、多くの人々が洗礼を受け、信者等は皆熱心に信仰を守ったのであります。

 ローマの市中に、彼方此方の神々の偶像を祭った神殿がありました。然し何しろそういうキリスト教迫害の時代ですから、真の神である天地の創造主を礼拝する為には、聖堂を建てることはおろか、公然集まる事も出来ません。で、信者達は役人の目を盗んで裕福な信者の家に集まり、御ミサ聖祭を献げたり祈祷を唱えたり聖体を拝領したり、信心の務めを果たしていましたが、政府の穿鑿はいよいよ厳しくなり、それすら危うくなって来たので、今度は墓所に穴を掘り深さ五、六間から十間位の所に地下室を拵え、信仰の為に殺された殉教者等の遺骸もそこへ葬り、御ミサ聖祭等もそこで挙げる事に致しました。この地下室が有名なカタコンブであります。

 その一つに聖カリストのカタコンブと呼ばれているのがありましたが、或る日例の如く信者達は人目を忍んでここに集まり御ミサ聖祭を拝聴し、御聖体を拝領し、又、役人に捕らえられて殺される様な場合、天国への糧とする為、各自もう一枚ずつ聖いパンを頂き、これを清らかな布に包んで肌身に付けました。

 御ミサ聖祭が済むと司祭は改めて口を開き、「私共が斯様に皆集まって天主様を拝むにつけ、忘れてならないのは牢屋に繋がれて様々の苦しみを受けて居る不幸な兄弟達の事であります。彼等が激しい責め苦を物ともせず、最後まで信仰を守り通す事が出来るのは、偏に天主様の特別な御聖寵による外はありません。ですから私共はいつも彼等の為、熱心に御祈りを捧げましょう。又若し霊魂の糧なる御聖体を、どうにかして彼等に送り届ける事が出来たら、彼等はどれほど力付けられ、喜ぶ事でしょうか?。然し私共司祭は役人共にも良く顔を知られていますから、到底牢獄にいる兄弟達に逢う事は出来ません。それで皆さんの中、誰方か御聖体を捧持して彼等に届けて下さろうと云う方があればどうぞ申し出て戴きたいと存じます…・・」と云い終わって人々の顔を見廻しました。

 するとこの時涼しい声で凛然と「神父様、どうぞ私をやって下さい!」と叫んだ者がありました。見るとそれは今日ミサ答えの役を務めたタルチシオと云う愛らしい少年です。人々はその勇ましい決心に感動した様にざわめきましたが、未だこんな小さい子供にそんな大役を任せるのが不安心らしくも見えました。司祭も同じ気持ちなのか「ああ、タルチシオさんですか、だがこの官憲の監視の厳しい中を、牢屋まで御使いするのは並大抵の事ではありませんよ、貴方はそれを知っていますか?」と念を押す様に云いますと、タルチシオは「神父様その事は十分知っています。私はたとい捕らえられても殺されても、決して信仰は棄てません」と勇ましく答えます。「それでも御聖体はこの上もない聖いものですから、もし万一の事でもあっては…・・」

「はい、神父様、私は命にかけてもきっと御聖体を御守りして、誰にも指一本触らせません。私は未だ子供ですが、その為却って人に疑われる事もないでしょう。どうぞ私をやって下さい!」

 熱心面に現れて頼むタルチシオの健気さに、司祭もついに動かされ、成る程敵の目を逃れるには大人よりも寧ろこういう少年の方が良かろうとも思い、いよいよ彼を使いにやることに定め、ホスチアを布に包んでタルチシオの懐深く納めさせ、「では良く気を付けて、どこへも寄らず真直ぐに牢屋に行くのですよ」と云って送り出しました。タルチシオは晴れの大役に心も勇み、カタコンブからアッピア街道へ出て、脇目もふらずローマ市へと急ぎました。

 始めは人家も少ない田舎道とて、人に逢う事も稀でしたが、町の近くへ来ると家も軒を並べ、人通りも激しくなりましたから、タルチシオは賢くも人に疑われまいと、気は急ぎながらも、故意と足を緩めました。

 すると突然「おいタルチシオ、お前はどこへ行くんだ?」と立ちふさがって声をかけた者があります。見れば日頃から町の鼻つまみになっている腕白小僧達がズラリと五・六人、意地の悪そうな目を光らせているのです。

タルチシオは悪い所で悪い奴等に遭ったと思わず大事な御聖体の袋を納めた胸の辺りをシッカと両手で抑えました。処がそれを目ざとくも見つけた一人は、「おや、それは何だ?出して見せろ」と傍へ寄って来ます。タルチシオはもう絶体絶命「いいえ、これは何でもないの、僕は今急ぎの御用があるから、御免してね」と云って素早く通り抜けようとしましたが、相手は大勢ですから適いません。忽ち引留められ、取囲まれ、逃げる道も無くなってしまいました。「さあ、懐の物を出して見せろ!」「そうでなければ、ひでい目に合わすぞ」悪太郎共はタルチシオの顔色が変わったのを見て、益々好奇心に駆られた様にしつこく虐め、果てはその胸に手を掛け様とさえします。タルチシオは御聖体のイエズス様を御守りしようと一生懸命、両手で胸をかかえながら道の上に坐り込みました。「さあ見せろ、何だそれは?」「お前はクリスチャンだろう、クリスチャンの奴等は赤ん坊を殺して、その肉を食うとか云う話だ。そんな物でもそこに隠してあるだろう?」「早く出せ、どうしても見せなきゃ殴るぞ」「そうだ、殴れ、殴れ、こんな強情な奴は叩き殺してしまえ!」そう罵り騒ぐ喧しい声と共に、忽ちタルチシオの体には拳や棒切れの乱打が雨霰の様に降りかかって来ました。見るみる彼の頭は傷付き、美しいその顔は鮮血に染まりました。

 けれどもタルチシオは大事な御聖体、愛するイエズス様を御抱きした胸の手を放そうとはしませんでした。「豚に真珠を投げ与うる勿れ!」いつか聖福音の時聞いたそんな言葉がふいと胸に浮かんで来ました。そうだ! どんな事があってもこの聖い宝物を、こんな卑しい奴等に渡してはならない…・。「その手を放せ、隠している物を出せ!」然し彼は益々堅く胸を抱きしめるばかりでした。又一頻り降り注ぐ、棒や拳の雨。タルチシオは哀れにもグッタリと、顔青ざめてそこに倒れてしまいました。彼は胸に御聖体のイエズス様をシッカリと抱き締めたまま、その清いきよい魂は天国の主の許へ飛び去っていたのです。

 情け容赦もない不良少年達が、息絶えたタルチシオの胸から御聖体の袋を取り出そうとしていると、丁度その時通りかかったのは一人の兵隊でしたが、この有様を見ると驚いて声をかけ、

「おいおい、お前達は何をするのだ、ローマの法律では、死人の物を盗むと重い罪になる事を知らないのか?」と、厳しく咎めましたから、流石の悪太郎達もさっきの勢いは、どこへやら、コソコソと一人逃げ二人逃げ、みんな姿を隠してしまいました。

 後見送った兵隊は、倒れている少年を抱き起こし、その顔を覗いて又吃驚しました。と云うのは、彼もタルチシオと同じ教会の信者で、日頃からその顔を良く見覚えていたからです。彼は暫く感に耐えぬ様に瞑目合掌して祈っていましたが、やがてその体を抱き上げ、御聖体と共にカリストのカタコンブへと運びました。

 司祭は一部始終を聞き、この勇ましい少年侍者の信仰に涙を流して感動し、集まった信者諸共讃美歌を歌い祈祷を捧げ、手厚くその遺骸を葬ったと云う事であります。時は西暦257年の事でありました。その後聖少年タルチシオは「御聖体の殉教者」として全世界の信者にその名を崇められ、毎年8月15日即ち聖母被昇天の大祝日にその壮烈可憐な最後を祝われるのであります。

 祭壇の前に跪く総ての信者が、聖タルチシオの様な信仰と熱心とを以って務めに尽くすならば、天主の聖心にどれほど適う事でしょう。筆者はこの小冊子を御読みになる皆さんが、聖タルチシオに倣われる事を心から望んで筆を擱きます。

 

昭和三十一年七月二十日第九版発行

光明社刊  ブライトン著  侍者の友 より抜粋

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